「~令和・鱈の里~」
 


 牛ノ首で「北限のサル」と「ニホンカモシカ」を撮影していたら、沖合から大きな船音が聞こえてきた。重そうな音で、いつもと違う。ひょっとしたらと思い、尾根から沖を眺めるとやはり、喫水線ギリギリまで沈んだ「タラ船」が港に向かっていた。

エンジン全開なのだろう。タラをいっときも早く水揚げしたい漁師たちの思いが、水飛沫とエンジン音に詰まっていた。港ではもう接岸する場所もないほどタラ船が集まっていた。

そして脇野沢の住民全員が集まっていたのではと思われるほどの人々が、所狭しと動き回っていた。水揚げが一番手間のかかる作業だが、みんな慣れたもので、それぞれの役割分担は大したもの。エラに手をかけ、鍵棒で岸まで飛ばし、タラを押さえながらオスかメスかと判別し、オスには「ナバリ」というヒバで作った栓をする。

白子が流れないようにするためだ。そしてそれらを計量して、「脇野沢の鱈」と書かれた箱にそれぞれ箱詰めして積み上げる。その手際は見事で、働きっぷりも凄く、何と言ってもみんないい顔している。この日はまさに「鱈の里」だった。


 
脇野沢の鱈は、戦時中に大豊漁して国に「戦闘機」を二機、献上している。脇野沢村史でしっかり誉として記録されている。以来「鱈の里」として知られ、下北半島を代表するブランドとなっている。

しかし30年ほど前から不漁が続き、困った漁協と漁師たちは資源確保のために「稚魚放流」をはじめた。その成果なのか、5年前から水揚げ上昇が続き、今年も大豊漁となる見込みのようだ。自然を相手にする仕事は「獲ってはじめてなんぼ」のもんで、先がわからない。

先行投資をしたから見返りがあるとは限らない。誰も保証してくれない。不漁続きの時、古老がつぶやいた言葉が今でも鮮明に残っている。「昔も大漁、不漁はあったべ、自然相手だもの、そんなもんだ。

そのうちに戻ってくるべ」。達観してしたわけではなく、自然の長いスパンで物事を考えていた。今日明日の出来事で判断せず、すべて成り行きに任せるといった塩梅なのだろう。できそうで出来ない話だ。そんな漁師たちが今の「鱈の里」をつくり、維持しているのだろうと思う。時代が変わっても自然のスパンは変わらない。


この地に来て33年が経つ。その間に元号が2回変わることになる。長いようだが、そんなに長い時間ではない。北限のサルやカモシカたちとも付き合いが長いが、せいぜいまだ三世代交代だ。中身はまだ二世代分。

人間社会のこちらもまだ二代目だ。あくせくせず、「・・そのうち戻ってくるべ・・」的な時間感覚で年を迎え、いつもどうり、新しい年を淡々と歩んで行こうと思う。


いそやまたかゆき

2020.01