~北限のサル・沿革2~

 1990年代にはいると、脇野沢の上在(九艘泊から寄浪にかけて)で発生していた農作物被害が瀬野から山在(源藤城・滝山)まで拡大し、脇野沢全域に及びはじめた。また、下北半島でもこの頃から北部の佐井村、風間浦村で農作物被害が発生しはじめた。

当時は「脇野沢のサルがここまでやってきて悪さしている」とささやかれ、脇野沢の人々は肩身の狭い思いをした。サルの生態を考えると数十キロ離れた所まで群れが移動することはないのだが、この頃はかなり脇野沢地域の「猿害」がメディアで報道され続け、「餌漬けをした脇野沢のサルは害獣」のレッテルを貼られていた。

一般の人々は「餌付けによる猿害」といった単純な図式で結論していた。被害地域の拡大は、「世界で最も北に棲息するサル及びその生息地」として国の天然記念物指定を受けた「国の文化財、北限のサル」の、大きなターニングポイントを迎えることになった。


 そこで、青森県が特定動物に指定し、「下北半島ニホンザル保護管理計画」を策定するなり、1995年から5カ年かけて本格的な調査を実施することになった。これまでも民間団体が調査をしていたものの、公の調査としてはじめて実施された。

5年後の2000年に推定、18群、718~761頭とした報告書がまとまり、これをもとに計画がつくられ、(1)地域個体群としての永続的な保全、(2)人的被害、人家侵入被害などの根絶及びの農作物被害の軽減、(3)共存のための社会合意形成を保護管理の目標として計画が動き始めた。

具体的な作業として、「追い上げ」、「追い払い」の徹底、畑周辺へのクズ野菜投棄禁止、サルへの餌やり禁止といったサルと人との間に問題が発生させない予防的措置が軸となっていた。

人とサルとの緩衝帯としての壁をつくり、脇野沢を最新事例として下北半島全域に波及させることとなった。


しかし計画が公布される2000年に、脇野沢で人家侵入が相次いだため、侵入ザルを特定して、「捕獲」して「「お仕置き放獣」をすることになった。対象となったサルは「ゴンズイ」と名付けて長期観察していたオスザルで、群れから離脱したあと、ハナレザルとなって家屋侵入を繰り返す「悪いサル」となった。

サルの世界では、このように目立つサルがでると必ずそれを真似するサルが現れてくるので、人家侵入が群れのサルに拡大しないように早目に捕獲して、悪い芽を摘み取ることが大事。

また、そのサルの性格を変える為に「こらしめ」を施し、生活する場所も山中等の他地域に移そうという狙いもあった。サルの学習能力の高さを利用したものだが、しかし、失敗した。捕獲して、懲らしめて遠方投棄したものの、2日後に舞い戻って再び人家侵入して再犯した。

ゴンズイは再度捕獲して野猿公苑に収容した。サルの食べ物に関する習性は一度変わると元に戻らないことを痛感し、予防措置の重要さを知ることとなった。

2000年代は、農作物被害地域が下北半島全域に拡大し、群れの数は20群、個体数も1000頭を越えることになった。


続く


いそやまたかゆき

2017.01