「~北限のサル・沿革1~」
下北半島に生息する「北限のサル」の歴史を現状も含めて遡ってみよう。
 1947(S22)年、ニホンザルは狩猟対象から外され、以来、保護獣として扱われる。

南は屋久島から北の青森県まで分布するニホンザルの中で、下北半島に生息するニホンザルは1970年、「世界で最も北に生息するサル及びその生息地」として国の天然記念物に指定される。

地球上の人を除く霊長類のなかで一番北に生息しているのが、いわゆる北限のサルと呼ばれる所以のはじまり。

1965年当時、下北半島にすむ北限のサルは7群、約190頭という生息頭数。調査漏れの群れもあったと思われるが、下北半島の生息個体数はきわめて少なく、絶滅の危機的状態だったことが判明。

1964年、脇野沢村で個体数増加の為の「餌づけ」がはじまり、当時50頭程だった生息頭数が、餌づけを停止する1982年頃に180頭をこえることになる。個体数増加は餌づけの成果だが、同時にサルたちの人に対する警戒心が弱くなり、猿害を増加させることになった。

北限のサルと人との共生・共存のバランスが崩れはじめたのがこの時代。

 そしてまた、下北半島の森の中でくらしていた野生群も、1950年代からはじまった大規模の皆伐方式によるスギ造林地計画によって森林変化が起き、里山周辺に生息する群れが増え、各地で猿害が発生しはじめた。

このことは全国的な現象で、平野部の少ない中山間地域の下北半島では短期間に被害地域が拡大しはじめた。蛇足ながら、脇野沢村の18年間の餌づけはその時期とぶつかり、森林変化による個体数増加と餌付け効果としての個体数増加が重なって、猿害発生が急増したわけである。

言葉を変えると、(個体数保護の為の)餌付けをする必要がなかったことになる。これらの現象が当時の脇野沢村からメディアを通じて発信され、下北半島の「北限のサル」の代表的な存在となった。


 スギ造林地の為の森林環境変化とは、草食性のサルたちが生活の場としていた落葉広葉樹林を伐採し、スギを植林して20年程経過すると、成長したスギが日光を遮ってサルたちが餌となる下草が消滅してしまい、生活場所の移動を余儀なくされてしまう。

さらに伐採、植林作業の過程で「作業道」「林道」が新設され、サルたちが移動経路として使いはじめ、民家や畑地のある里山に遊動されるやすくなって、結果、猿害の発生につながる。そこに地球温暖化が野生生物たちの個体数増加をもたらし、相乗効果的に猿害が増大する。

この流れは下北半島だけでなく全国的におきている事柄で、今もなおこの循環が続いている。サルについていえば猿害発生のメカニズムは簡単である。すみかである森が変わった、生活していた環境に変化がでたのである。

 1940~1980年代は、「人とサルとの共生・共存」を目指していた黄金期に陰りがではじめた時期であり、北限のサルの激動時代の序章といえるのだろう。

続く


いそやまたかゆき

2016.11