朝日小学生新聞8月号

「サルと人間の問題」


伐採したスギの上で休息する親子ザル
 

  「パーン」「パパーン」、「ワン」「ワン」。夕刻近く、花火の音と犬の鳴声が山間にひびきました。サルたちが畑の周辺に出没したので、「サル追上げ巡視員」と呼ばれるかれらが、ロケット花火をうって、「モンキードッグ」を放したのです。かれらは農作物を守る為に、さまざまな道具を使ってサルたちを山に追い返すことを仕事としています。

モンキードッグは、サルを追うための特別な訓練を受けたシェパードで、かれらの協力な助っ人、いや助っ人犬なのです。今回は、下北半島の「サルと人間との問題」、いわゆる「猿害」についてお話ししましょう。下北半島の猿害の歴史は、1960年にむつ市脇野沢(当時は脇野沢村)の九艘泊地区に、15匹のサルが姿をみせたのが発端です。サルたちは畑のジャガイモやマメ類を食べはじめました。猿害が発生したのです。

困った村は、九艘泊の婦人会に「餌付け」を頼みました。この頃は、お腹を満たしてやれば、畑の作物は食べないだろうと願う気持ちがあったのです。また、当時は下北半島のサルの生息数が7群、約190匹と少なく、貴重な「世界で最も北にすむサル」を保護、保存する為に、数を増やすことも目的としていました。 1965年に餌付けは成功しましたが、数の増加にともなって餌場を離れるサルが増え、隣の地区まで移動して、畑の農作物を食べるようになり、猿害が拡大していきました。

餌付けにおける想定外のことでした。1982年、村は被害対策として、増えたサルの一部を捕獲、現在のサル公苑に収容し、餌付けを停止しました。「自然のサルは自然に戻す」。村は目標を変更し、畑の周りに電気柵を張り巡らし、「サルと人との共生」を目指して、追上げ作業をはじめました。 この頃の下北半島のサル生息数は7~8群、約390匹まで増加しましたが、当時は、脇野沢村の「餌付け」が猿害の原因ではないかと思われていました。



道路法面の草地で採食する群れのサル


ところが、1990年頃から下北半島の北西部の佐井村で猿害が発生、その後、北部の風間浦村や大間町でも発生して、半島内に被害が拡大しました。猿害地域が広がったことで、九艘泊地区の人々は、「オラホ(私達)のサルッコ(サル)が、悪サして、申しわけネエ」と、保護の為とはいえ、餌付けしたことに責任を感じていたようでした。しかし、生態調査が進むにつれ、「ニホンザルの行動範囲はせいぜい数平方km」ということが分かり、脇野沢村の餌付けが下北半島の猿害の原因ではない発生させたという「ぬれぎぬ」が晴れたのです。

 なぜ、下北半島に猿害が拡大したのでしょう。いくつか原因があると思いますが、ひとつは、サルたちがすんでいる森林環境の変化が影響しています。もともと下北半島の森は、針葉樹のヒバと落葉広葉樹のブナ等が混ざる「混合林」と呼ばれる天然林が、森林のほとんどを占めていました。他に、薪ストーブに利用する落葉広葉樹二次林と呼ばれる雑木林が点在し、サルたちはこの天然林と雑木林を生活の場としていました。これらの森では、餌となる下草も適度に供給され、サルたちにとって安定した生活の場でした。 

1950年以降、全国的にスギを植林して人工的な林をつくる造林地計画が導入され、下北半島の天然林や雑木林が伐採され、植林のための造林地がつくられ、スギ人工林が広がりました。スギは、40~50年の短期間に成長して、大量の材木がまとめてできるので、建築材に適しているのです。当時の材木需要に応えるかたちで、急速にスギ人工林面積が広がりました。スギ林は20年までの林を幼齢林、21年以上経過した林を壮齢林と呼びます。幼齢林は、スギの背丈が低いので太陽光が地面に届き、光合成が行われるので、大量の下草が生え続けるのです。

この下草を餌とする草食動物たちの絶好の餌場になるのです。しかし、スギが成長して壮齢林になると、背丈が伸びたスギの上部が密集した葉で閉ざされ、太陽光がさえぎられて、下草が消滅してしまいます。餌場がなくなってしまうのです。そうなると、そこで暮らしていたサルたちは新しい餌場を探さなければなりません。


モンキードッグの「ハナ」
 

また、植林や伐採作業をする為に、ブルドーザーや大型トラックを通行させる林道を山の中につくります。新しい道ができれば、脇や削り取った斜面に新しい下草が生育します。これらも餌場になります。サルたちは、今まで使っていた森の中の「けもの道」と新しい林道をつなぎあわせて、体力を使わなくてすむ楽な移動ルートをつくりだします。

 林道は、奥山と人里をむすぶバイパスになり、サルたちが移動した先には畑地が広がり、森の中には存在しない、農作物を見つけてしまいます。毎年、春に作付けされ、夏にかけて収穫できる畑地は、サルたちにとって魅力的な餌場に変わってしまいます。そして、農作物を食べることで、サルたちの食性も変化してしまい、魅力ある畑地周辺で定着する時間が多くなり、森の中で生活する割合が少なくなっていきます。この数十年のあいだに、下北半島の森林の半分くらいがスギ人工林に変わりました。林道もたくさんつくられました。森を生活の場としていたサルたちにとって、森林の変化は、餌場の変化になり、人里周辺に生活の場を移動させるきっかけになりました。

結果、サルと人が接触する場面が増えたのです。 「サルのすむ森がなくなった」、「サルの数が増えた」、「地球温暖化のせい」、「人に慣れてしまった」・・。猿害の原因を、いろいろな人がいろいろな言葉で表現します。どれも当たっていると思いますが、その背景に隠れているのは、かつては安定していた生活バランスが、変わってきていることだと思います。2011年、下北半島の「北限のサル」は50群、2000匹の数を越えました。 

サルと人の問題は、難しいことだと思いますが、どこかに両者のいい関係の接点はあるだろうと、私は考えています。時間がかかっても、私たち、人間側が探し出したいものだと思っています。

2013.8