朝日小学生新聞6月号
「カモシカのナワバリ」

生後間もない赤ちゃんを連れた親子
 
  「キーッ」、「キャゥン」。薮のなかからサルの甲高い鳴き声が聞こえました。サルの警戒音です。「フシュッ」、「フシュッ」。今度はカモシカの警戒音がして、「ドドー」と重量感のある足音が続きました。サルとカモシカがはち合わせしたようです。生茂った草にさえぎられて何もみえません。合唱していたエゾハルゼミも鳴きやんでしまいました。両者の不幸な出会いは、カモシカの逃走で、平和的に決着します。サルたちも必要以上に追いかけていきません。少しカモシカのお話をしましょう。正式名はニホンカモシカです。

でも、このあたりでは「あおしし」と呼ばれています。偶蹄目—ウシ科—カモシカ属に分類され、ウシの仲間です。奈良公園のニホンジカや北海道のエゾシカとは違う種類の、日本だけにすむ草食獣です。生息地は本州と四国及び九州の山地周辺で、北海道と沖縄にはいません。平地ではなかなか見られない動物ですが、緯度の高い下北半島では、民家周辺にも姿をみせます。貴重な動物ということで、種として、1955年に国の特別天然記念物に指定されており1952年8月1日発行の記念切手にはカモシカが描かれています。 

カモシカは、オスとメスとも角をもっています。角は、年齢とともに伸び、最長25㎝程度で成長が止まります。根元に角輪と呼ばれる溝ができ、数である程度の年齢がわかります。おとなの体重は30〜40kgです。胃が4つに分かれ、食べ直しをする、反すう動物です。眼の下にある、「眼下腺」と呼ばれるこぶのようなところから分泌液をだして、「匂い」をつけて「ナワバリ」をつくって、生涯そこで単独で暮らします。ナワバリはオスとメスは別々で、秋の交尾時期だけ一緒に行動して、翌春にアカンボウが誕生します。

子育ては母カモシカだけの役割で、こどもは2〜3年くらいで別の場所に移動して、自立して、自分のナワバリをつくります。寿命は数年ともいわれますが、この地域では10年〜20年の観察例があります。カモシカの生態をざっとこんなところですが、性格は臆病で、きわめておとなしい動物です。



採食する5才になる「ミドリ」


 私が長く観察しているカモシカを紹介しましょう。下北半島の南西端に「牛ノ首」と呼ばれる小さな岬があります。新緑がおちついた頃、岬にナワバリをもつ馴染みのメスカモシカが、1頭のアカンボウをつれて、歩いていました。こどもは耳の大きな犬のようで、眼のまわりが黒っぽかったので、スリムなパンダのようにもみえました。アカンボウは母カモシカのまわりを無邪気に飛びはねていましたが、すぐに森に中に姿を消してしまいました。緑がきれいだったので、「ミドリ」と名づけました。

 ミドリはいつも母カモシカと一緒でした。母カモシカがオオバクロモジの枝先を食べると、横に並んで、同じものを食べました。垂れ下がっているつる性のクズの葉を食べると、首をけんめいに伸ばして採食。母カモシカが座って反すうをはじめると、横に座って、反すうをしました。そのあとは親子が仲良くいねむりです。 ミドリは時々、私に興味を示して、近づいてこようとしました。鼻をヒクヒクさせ、匂いを確かめようとするのです。成長にともなう好奇心や探究心なのでしょう。しかし、母カモシカがうしろからお尻を鼻でつっつき、「フシュッ」と声をだして、私を威嚇します。この声は、鼻から息の抜く時のくしゃみのような「音」で、相手をおどす為のカモシカの唯一のサインです。鳴き声ではありません。

カモシカに声帯はありません。ミドリはこの母カモシカの「教え」で、あわてて戻ってしまいます。母カモシカは、私を「外敵」の役に使ったのでしょう。母カモシカは、父親をふくめた保護者であり、教師であり、ミドリの生活すべてなのです。 観察をかさねてミドリがオスであることが分かりました。ミドリ君です。性別は股間を覗き込んで、「あるか、ないか?」を確かめるのですが、体毛の長いカモシカには、これがなかなか難しいのです。オスかメスか、ナワバリを調べるときに重要なことなのです。 

母カモシカは、ミドリが1歳半になった夏に死亡してしまいました。15歳をこえていた母カモシカは寿命だったと思います。ミドリは、角が伸び、見た目はおとなのカモシカにみえましたが、まだ頼りなさそうところがありました。


秋の交尾期に一緒に行動する「グレー」(左)と「ミドリ」

カモシカはこども時代が2歳まで、3歳からおとなの仲間入りなのです。ミドリは母カモシカのナワバリを引き継ぐように岬にすみつづけました。3歳になった頃、2歳になる新しいメスカモシカが現れました。はじめはお互いが警戒しあっていましたが、翌春、二頭のあいだにアカンボウが誕生しました。つがいの関係になったのです。メスカモシカには「グレー」と名前をつけ、その後もこどもを8頭出産して、今もなお、岬で二頭の生活は続いています。

 ミドリの場合は、母親を早く亡くしたという特別なところがあるかと思いますが、カモシカが生まれ、成長してナワバリをもち、パートナーをもって家族を残すという、カモシカの基本的な生活をみせてくれました。 鳴きやんでいたエゾハルゼミの合唱がまたはじまりました。サルたちは何ごともなかったように、薮にもぐり込んで、餌をたべはじめした。脱出したカモシカはどこまでいったのでしょう。サルたちがいなくなったら、きっとまた戻ってきて、今度はカモシカがゆっくり餌をたべることでしょう。

 カモシカは嗅覚の世界で単独生活。サルたちは視覚の世界で集団生活。違う生活スタイルの両者が、同じ落葉広葉樹林の森に暮らし、ともに生活し合えるのは、餌場を使い分けているからなのでしょう。必要以上にお互いの生活に関与しないことが、お互いの存在を認め合うことになり、共存や共生ができるのでしょう。私たちの世界でも同じことがいえるのだろうと思います。


2013.5