牛ノ首物語7
「雪の白ウサギ」

 
 昔、写真の師匠から「闇夜のカラスだ」とよく言われた。暗闇とカラスを比喩した言葉で、プリントの陰の部分つまり黒い部分が真っ黒につぶれてしまって、写真として不良品を意味する。当時はモノクロ写真だったので引伸しプリントは暗室に薄暗い赤い電球を灯し、印画紙に露光→現像→停止→定着とすべて化学的な作業で「写真を焼いて」いたのである。現像時間と液温度が適切でなければ闇夜のカラスになってしまい、ひどい時は焼き直しを命じられる。暗室作業にはずいぶん苦労したが、いまは懐かしい思い出となっている。牛ノ首岬である日突然、「雪」が動いた。瞬間、何が起きたか分からず、呆然としていたら、再び雪が動いた。ようやく分かった。1匹のノウサギが目の前にいた。茶褐色の夏毛から真っ白な冬毛に変身する保護色なのだろうが、本当に見えていなかった。雪のなかの白ウサギは闇夜のカラス以上だった。ノウサギは固まったまま。周りにたくさんのサルがササを食べ、毛づくろいをしながら暖かな日溜まりを楽しんでいる。ノウサギは大勢のサルに囲まれ、瞬きひとつせず完全に固まっている。ノウサギの雰囲気にのまれ、こちらも息を止めながらそっとカメラだけ持ち上げた。3枚シャッターを切った。とその直後、ウサギは飛んだ。サルの間を強引に走り抜けた。まさに脱兎の如くで、続きの写真を撮る間もなかった。


 
ノウサギは素穴で生活し、活動時間は早朝と夜間である。昼間に活動しないのは天敵との時間をずらそうとする為で、雪上に残る足跡をみるとよく分かる。ノウサギの天敵のひとつは猛禽類。餌木の周りは足跡がベタベタと残るが、移動の時は前脚をついて後ろ脚で地面を蹴って飛ぶ、いわゆるチョン、チョン、パッである。最短距離を直線で走る。さらに草や木の根元をかすめるように足跡が残り、上空から補食してくる猛禽類の羽ばたきを邪魔する様なコースをとっている。見事な生活様式が足跡から見て取れる。もうひとつの天敵は肉食系のテンである。ノウサギの足跡の途中からテンの足跡が重なってくる。匂いを嗅ぎ付けて追跡している様がわかる。ノウサギの「戻り足」は有名で、素穴の近くでは方向を変え、わざと遠回りして素穴に入っている。ノウサギの生活は足跡からすべてが想像できる。雪上の足跡を観察するアニマルトラックの面白さはここにある。この日の出会いは人間である私には興味深かったが、サルは無関心を貫いた。予想外の天敵、人間に見つかってしまったノウサギはさぞかし恐かったことだろう。サル同様、見えない振りをするのが自然界の礼儀だったのだろう。