北限に生きる〜モミジ物語〜
「モミジ誕生」

木陰でモミジを抱えるツツジ
   撮影:93年6月29日、脇野沢寄浪
 
1993年6月29日、5月の出産シーズンが終わり、エゾハルゼミの声が聞こえはじめた頃であった。群れの長老メス「ツツジ」が座り心地の良さそうな樹に座り込んでウト
ウトしていた。寒さに強い北限のサルたちは、夏は大の苦手。早起き昼寝で暑さを凌ぎ、気温が上がる昼前後は木陰の涼しい場所で昼寝を決め込む。ツツジは時々お腹のあたり気にした。何か動いている。まさかと思いながら木に登って双眼鏡を覗き込んだ。小さな手が動いた。まさかであった。ツツジが出産したのだ。
このときツツジは23才。人間年齢では70才になる。高齢出産それもひとつき遅れ。無事に育つのか・・・。ツツジの晩年とこの日誕生したメスザルの行く末を見届けよう
と思った。もみじのような手から名前を「モミジ」とした。モミジはツツジの4女にあたる。長女は推定78年生まれの「ヤマツツジ」、次女は86年生まれの「アジサイ」、三女が89年生まれの「カエデ」。ニホンザルは血縁を持つメスが結束を固める母系社会。オスは数年群れを離れて別地域に移動する。そしてメスを足場にして別の群れにはいり、しばらく過ごしてまた群れを去る。つまりオスは生涯腰が落ち着かない生活を続ける。しかしこの背景には自分のこどもとなるメスとの交尾を防いで、近親交配を避ける重要なメカニズムが潜んでいる。したがってサル社会は母系が強化され、群れの頂点に立つのは血縁メスをたくさん持つ長老メスになる。こうしてモミジは群れのボス的存在であるツツジの娘として群れにデビューした。
樹上で休息するツツジとモミジ、右はアジサイ親子
    撮影:94年1月30日、脇野沢牛ノ首
 
 モミジが生まれるまでは次女のアジサイと三女のカエデがよくツツジから毛づくろいを受けていた。両方とも自分がこどもを持つ身になっても、時には母親であるツツジに甘えに行くのであった。しかしモミジの誕生はすべてを変えた。ツツジはモミジにかかりっきりになり、アジサイとカエデが寄り添っても見向きもしなくなった。人間風に言うとツツジはモミジを溺愛した。ニホンザルの子育ては早い時期の子離れである。こどもは、生後半年になる秋には採食も一人前に出来、遊びもこども同士、母親の胸に飛び込むことが少なくなる。時に遊びがケンカに発展して収集がつかなくなってようやく母親の出番。最後は母親の力関係で決着。これは同時に親の順位がこどもに刷り込まれ、上下関係のあるサル社会が維持されることになり、バランスがとれるのである。こうやってこどもは幼い頃から社会の風に当たってさまざまなルールを学んでゆく。これは自然の社会学であろう。しかしツツジはモミジにそんな体験をさせない子育て。ツツジの愛情だけに包まれながら大きくなっていった。