牛ノ首物語6「グレーのこども」
雪のない林内で採食するグレーとこども

 2007年1月9日、晴れ、積雪ゼロ。牛ノ首農村公園は晩秋を思わせ、冬の風景はどこにも見当たらない。過去2年の豪雪が懐かしくさえ思う。
 01年に誕生した「グレー」は今春で6才。ニホンカモシカは3才から出産可能で、ふつうなら2、3頭のこどもを持っていてもおかしくない。しかし、05年06年と出産したものの2年続いた豪雪の冬にともに死亡した。そして07年春、グレーは3度目の出産をした。
 この日は小さな東屋のある頂上からスギ林に入った。積雪がないため枝を踏みつける足音が林内に大きく響く。聴覚が鋭く、茶褐色の風景に溶け込んでしまうカモシカを探すのには条件が悪すぎる。偶然の出会いに頼るしかないと思っていたら、何かが動いた。スギ林の隙間にこどものカモシカが見えた。母親の姿は見えない。視覚を広め、神経は耳に集中した。カメラ風に言うと目は広角、耳は望遠である。カサッ、乾いた音が耳に届いた。視界にグレーが入ってきた。こどもが不安になった頃合いの登場はじつにタイミングがいい。そっとシャッターを切る。こんな時、デジタルカメラはフィルム巻き上げのモーター音がなく、扱いやすい。グレーはこどもに近づいて、鼻で軽く体を押した。ザザー。瞬間、こどもがはじけるように走り出した。

群れに飛び込んできたグレーのこども

 グレーはこどもが走り去る姿を確かめてから追走した。足音が遠のいて残されたのは静寂と私。ちょっと物足らなかったが、こどもの生存が確認出来、心地よい気持ちで下山した。しかし、その後、春を迎えて初夏の香りが漂う頃になっても、母親のグレーは観察出来るもののこどもの姿はなく、ほとんど死亡したものと決めていた。5月22日、初夏を思わすこの日の牛ノ首には2名の山菜採りの婦人が入山していた。ワラビとフキである。頭上のイタヤカエデには親子のサルが新芽を採食。微笑まし風景だった。採食後のサルたちは日陰で昼寝をはじめた。その時である。ザザーという大きな音とともに1頭のカモシカが飛び込んできた。サルたちは大騒動。全員木の枝に飛び散った。カモシカはグレーのこどもだった。あれほど探しまわっても見つからなかった相手が簡単に目の前に現れた。グレーのこどももサルに囲まれてパニックになったのだろうが、私の驚きはそんなものではなかった。とにかく生きていたことだけで嬉しかった。3度目の正直。今度こそという想いは母親のグレー以上のものがある。いつまでもグレーのこどもというわけにもゆかない。さっそく名前を考えることにしよう。