牛ノ首物語・・・
「北限のサル、この一年」

岩の上に立つグレー親子
さまざまな足跡が残った雪面を歩くサル:撮影2006年2月22日

2006年2月25日、牛ノ首をあとにした群は脇野沢の白岩と呼ばれる海岸斜面まで移動した。一年前の同じ日に同じ場所にいたことになる。
 あれから一年。脇野沢では問題個体13頭の捕獲が一定の成果をみせ、人的被害はゼロ、農作物被害も減少したとの報告がなされた。
 捕獲の成果を検証すれば、ひとつには、問題個体を捕獲することで他のサルへの悪い波及を抑えたこと。この事例は20001年3月、人家侵入するサルを1頭捕獲したら、追随していたもう1頭のサルが姿を消した時と同じ。先陣をきるサルがいなくなれば追随するサルもいなくなる。つまり、集団生活するニホンザルの習性をうまく利用できたことになる。
 ふたつめには、捕獲後の巡視員による「追い上げ」の強化。人員増強をともなう畑周辺の「追い払い」から山側への「追い上げ」が徹底され、サルたちの「人に対する警戒心」が芽生えはじめたこと。「追い払い」は畑に侵入したサルを外に追い払い、「追い上げ」は畑周辺から群れ全体を山側へ追い上げること。とくに「追い払い」はサルの集団性を熟知してないと出来ない高度な技術を要する。これらの作業を期間も延長しながら実施したことによる成果。サルたちにとって巡視員は怖い存在になったことだろう。
 そしてもうひとつ加味しなければならないのが、山の実り。昨秋はブナなど、山の食べ物が豊富だった。サルたちは当然のように畑周辺で生活する回数を減らし、その結果、農作物被害が減少した。かれらの生活母体が山にある裏付けにもなる。言葉を変えて整理すると、悪い要素は早めに発見また生み出さない。必要な場所では必要な人間の圧力をかける。サルたちの生活の場を保証する。そしてこれらを根気強く続けると人とサルの一定の距離が保てることになる。捕獲後の一年は、これらの要素がうまく機能して、人的被害を含んだ被害減少にむすびついた。

雪雲に覆われる牛ノ首と鯛島:撮影2006年3月3日:むつ市宿野部
 2005年6月22日、捕獲に関する状況報告もあって環境省に出向いた。そのおり、同じく山形県東根市から上京した農協職員と一緒になった。かれの説明は、果樹園に侵入したサルが果物を食害、ブランドにもなっているサクランボまで被害をうけているとのこと。当初は「電気柵」を設置して「追い上げ」で被害防除したが、被害は治まらず、結局害獣駆除を導入。果樹園に侵入するサルを射殺する被害防除方法に切り替えた。しかしそれでも被害は治まらず、むしろ駆除による群れの分裂や崩壊などで被害地域の拡大が目立ってきたと結んだ。彼の話は全国で起きている典型的な事例だった。説明のあと彼は呟いた。「サルは撃つだけでは駄目だ」、「地域に生息するサルの実態を調査し、生息状況を把握しながら根気強く追い上げを続ける必要がある」。
 3月10日付けの新聞に今年の問題個体の捕獲申請許可が出ていた。合併なったむつ市4頭、佐井村4頭、風間浦村3頭。昨年、脇野沢で捕獲に絡んだ群れ周辺についてはしばらく行動をモニタリングすることになった。サルたちの人里及び農作物依存にいっそうの変化が出ることを願わずにはいられない。

「牛ノ首物語・」 終わり