牛ノ首物語「・8
「二ホンカモシカ」
こども亡くして単独で採食するグレー
・ 撮影年月日:05年3月17日、牛ノ首地域
 古くから二ホンカモシカの呼び名は多く、90種を越える。北東北では「アオシシ」や「アオ」、このあたりでも「シシ」と呼ばれた。昔は猟師にとって重要な獲物だったが、1925年に狩猟獣から除外され、絶滅が危惧される保護動物として扱いが変わった。「森の哲学者」や「生きている化石」とも表現され、狩猟獣から保護獣への変化が伺い知れる。このあたりでカモシカについて少しまとめてみよう。
 まず戸籍。生物学分類ではほ乳類ウシ目ウシ科二ホンカモシカとなる。シカ科のニホンジカやエゾシカと遠く、ウシやヤギに近い。外見的な特徴は枝分かれしない角。生涯生え替わらず、オスメスとも持つので判別に苦労するのはこのあたり。ふたつの蹄は、ほ乳類なので元々5本あった指のうち親指が消え、人差指と小指も退化して中指と薬指だけが残っている。これが偶蹄類のカモシカ。さらに薬指までも退化した奇蹄類の馬は、接地部分を小さくして速く走る為に進化した。カモシカは太くて短い脚を持ち、急峻な岩場を登ることで当時のオオカミなどの天敵から身を守って生き延びた。下北半島西海岸の断崖絶壁はカモシカにとって安全な生活場所になるわけだ。日本列島の生息分布は北海道と沖縄列島を除く本州と四国及び九州。山陰山陽地方は絶滅。つまり下北半島のカモシカは「北限のサル」同様、生息北限地にあたる。
松の木に匂いつけをするブラック
 撮影年月日:05年3月17日、牛ノ首地域
 さてカモシカの歴史は、まず1934年に国の天然記念物に指定されたが、密猟が続いて個体数が減少。保護強化の為に国は、55年に特別天然記念物に昇格指定させ、59年に密猟一斉取締を実施。ようやく個体数が回復しはじめた。当時の生息頭数は推定2〜3千頭と発表されている。しかし個体数回復が造林木被害を発生させ、75年に長野県で一部のカモシカに限って捕獲。その後も岐阜、愛知、山形、静岡でも捕獲がはじまり、現在も年間1000頭余が個体数調整の目的で捕獲が続いている。そして79年に環境、文化、林野の三庁合意文書が取り交わされ、特別天然記念物の種指定を外し、全国15カ所の保護地域内のカモシカだけを天然記念物にするという大幅な格下げになった。いわゆるカモシカの保護管理計画。この頃の生息頭数は約7500頭。下北半島は81年に約3万3千ヘクタールの保護地域の設定作業が終了しているが、四国と九州の2カ所がまだ未設定。
 この変更にはどんな背景があるのだろうか。まず個体数の回復が上げられるが、カモシカは背丈ほどの灌木類の芽を食べる為、林業者にとって造林木被害は死活問題。保護地域設定はこれらの摩擦を解消すべく「棲み分け」にはじまった。85年、カモシカを被告席に座らせ、林業者が原告になった岐阜県のカモシカ裁判は、人とカモシカの関係を如実に語る。しかしスギを食害しない下北地域では、同じ線引きをする必要性はなく、疑問も残る。また畑作物被害についても、柵やネットによって侵入は防げ、地域性に合わせたカモシカ食害を防除する手だては残っている。
 狩猟獣から保護獣、天然記念物から特別天然記念物。そして地域指定の天然記念物へと格下げされるカモシカの足場は揺れ動いている。牛ノ首は保護地域から遠く離れたところに位置している。保護管理が動き出すと牛ノ首の特別天然記念物のカモシカは保護の対象にならず、「ただのカモシカ」になってしまうのである。
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