牛ノ首物語「・4
「26の瞳」
寄浪の尾根から牛ノ首方面を望む
撮影年月日:05年2月4日、寄浪地域
 2005年1月17日にはじまった捕獲作業が2月28日に終了した。43日間でカナガシラを含む13頭のオスザルが捕獲され、薬殺による安楽死でこの世を去った。
 期間中で印象深いのは捕獲初日。オリが仕掛けられると同時に群れのサルたちが集まり、あっという間に2頭のメスが捕獲オリに入って扉が落ちた。続いてカナガシラも飛び込んだ。この異様なまでの光景が数十名の報道陣が集まる目の前で展開した。様子を見ながら、このまま全国に放送されるのかと思うと、何とも情けない気持ちになった。サルたちに、「自分の置かれている立場を考えろ」と怒鳴りたい心境になった。反面、民家周辺のオリ設置とはいえ、餌を使う捕獲による「餌付け」のデメリットが頭をかすめた。「とにかく、冷静に記録をしておかないといけない」、この日から自分に言い聞かせながら観察を続けた。
 1月18日から抗議の電話と文書が村に押し寄せた。大半が首都圏。職員は電話対応に大わらわ。しばらくの間は仕事にならなかったそうだ。中には40分を超える電話もあり、「なぜ繋がらないのか」と延々と抗議されたものあったと聞く。「人の都合で殺すな」、「何がなんでも保護しろ」、なかには「教育を指導する教育委員会がなぜ動物の命を絶つ」といった抗議もあり、返答に窮した職員もいたようだ。さらにまたファックスによる文書も届き、脅迫まがいの内容のものもあったと聞く。そして少数だが、「脇野沢を支援する」、「悪いサルの捕獲はやむを得ないだろう」といった応援文章もあった。いずれしても大津波の襲来を思わせた。
牛ノ首を駆け抜ける若いサル
 撮影年月日:05年2月26日、牛ノ首地域
 捕獲前からある程度の抗議は予想をしていた。ただ残念だったのは抗議文書に建設的な意見がなく、回答を求めた文書に返答してもその後の反応が皆無だったこと。まるでインターネットのように闇から闇に吸い込まれ、津波を受けた被災地に支援が届かないような感すらした。今回の捕獲に関しては、脇野沢の人々も心に傷を受け、忘れがたい冬として記憶に残っている。たとえ抗議文書であっても、世の関心事として反応があったことはまず嬉しいと思った。あらためて「北限のサル」の知名度の高さを再認識させられただけに、一過性で終わったような終幕には、少し残念な思いが残っている。
 激動の捕獲の冬は終わった。捕獲の成果になる被害変化は時間経過ともに見えてくるだろう。ただ捕獲のみで軋轢が終わるわけではなく、人家周辺の誘引物の除去、畑周辺からの「追い払い」の強化、そして新しい食べ物を覚えさせない人側の努力が同時進行して、これらが一体化してはじめて今回の捕獲の成果に繋がってくる。私たちがすべき事、あるいは出来る事はまだまだ多く残っている。
 捕獲オリの中で輝きを失った26の瞳を無駄にしない為に、また「悪いサル」と烙印を捺さなければならないサルをつくり出さない為にも、時間がかかるだろうが、「共生のための模索」を根気強く粘ってゆきたいものである。サルたちも膨大な時間をかけて「北限のサル」を生き抜いているのだ。
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