「下北半島ニホンザルの特定鳥獣保護管理計画」
2月25日の「カナガシラ」
 1月17日にはじまった「北限のサル」の捕獲が2月28日で終了した。昨年の夏過ぎに脇野沢村が捕獲申請したのは24頭で、期間中に捕獲されたサルはオスザル13頭。申請から捕獲に至るまで長い期間を要したのは、捕獲後の収容先を巡ってさまざまな動きがあってのこと。結果的に捕獲作業は厳冬期の43日間になった。
 まずこの保護管理という言葉だが、青森県が下北半島のニホンザルを特定鳥獣に指定し、調査を実施した後、科学的な裏付けを保ちながら保護と被害対策を含めた管理を行おうというもの。一般社会にはなかなか馴染みのない言葉である。
 下北半島のニホンザルは、ご承知のように、「世界で最も北にすむサル」として1970年に国の天然記念物に指定されている。下北半島はまさかりの形をなし、サルたちが棲息する場所は刃の部分にあたる脇野沢村、佐井村、大間町、風間浦村、大畑町で、最近、川内町へも一部のサルが遠征しはじめている。つまりむつ市と東通村には棲息せず、生息地をみると島状態になっており、北限のサル全部が地域個体群として、極めて重要な種になっている。文化財価値も高いものである。
 少し歴史を解説すると、1964年、脇野沢村で個体数増殖と畑作物被害防止対策の為に「餌付け」が実施された。当時は、地域の婦人会と学校が協力しあって「北限のサルを守る保護の為の餌付け」として、自然保護運動として大きくクローズアップされた。餌付けは成功し、個体数が増え、「世界で最も北にすむサル」として村の観光面でも大きく寄与し、一時は人とサルの黄金期を迎えていた。しかしその後、食害問題が大きくなり、1982年に一部のサルが捕獲され、現在の野猿公苑に収容されている。しかし食害問題は収拾出来ず、餌付けの停止、畑からの追い払い、電気柵導入というさまざまな「人とサルとの共生」が模索され、今回の保護管理の導入に至った。
 こう書くと、餌付けが人との距離を縮め、警戒心を取り去り、問題発生の主原因と読みとれるが、近年、餌付けをしない佐井村、風間浦村でも同じような食害問題が発生し、単純なものではないと考えられる。森の荒廃による生活圏の攪乱、暖冬化による個体数増加、また自然ブームによる人との接触による食性の変化など、問題発生の因子はさまざまなものが絡んでいる。また、脇野沢村の場合は、中山間地域独特の森にすむ野生動物と人の生活場所の接近といった、地形的なところも大きく起因している。
 前置きが長くなったが、今回の保護管理の軸は、人及び人家に危害を加え、またその恐れのあるサルの捕獲という、問題個体として特定されたサルのみの捕獲である。したがって事前に調査をし、容疑のあるサルを顔で識別しておいて、そのサルだけを捕獲するという細やかな作業をすすめた。現場では、人家周辺に捕獲オリを設置し、人間社会の場所のオリに入ることで、人家に接近する強い因子を持つサルを確認できる方法で捕獲した。その目的は、サルは群れ社会を持って生活するため、人家に接近するサルの姿は、群れの他のサルに同じことを促進させることにつながって群れ全体のサルに悪い影響を与え、その防止策である。集団生活するサルは他のサルを行為を真似ることで生活スタイルを築き、その延長上に「森の食べ物から人の食べ物」へと移行させ、基本的な食性が変わってしまうのである。こうなるとサルの生活が人の生活に入りこんでくることになる。しかしまた、力のあるオスザルの捕獲が群れを崩壊させるようなことになれば、逆に被害地域が広がることになり、かえって被害を拡大させることになり、オスの持っている役割を調べた上での作業になり、群れにとって重要なオスは群れの維持のために放獣ということになる。
1月23日の「ハモ」
 捕獲作業が終了する3日前の2月25日、「カナガシラ」と名前をつけた群れの重要なオスが捕獲された。カナガシラは1月17日の初日に捕獲オリに入り、以来8回捕獲され、群れの重要なオスとして開放されてきた。新聞やテレビでも報道されたのでご承知の方もあるかも知れないが、じつはこの捕獲期間は群れが別れて行動する時期と重なっており、カナガシラの群れの中での位置及び群れの構成が不安定な状態にあった。ところが終盤になってカナガシラの後釜になる「カワハギ」と「ハモ」が群れの牽引に大きな位置を占めていることが調査で判明し、人家周辺にメスたちを引っ張ってくるカナガシラの存在は、今後被害を発生させる恐れを持つオスとの認定が大きくなり、捕獲対象のサルに変わってしまった。
 2005年1月17日から2月28日までの43日間は、カナガシラを含め、13頭のオスザルたちの運命を大きく変えることになった。苦痛を伴わない安楽死とは言え、「薬殺処分」という方法に全国から100件近い抗議が村に押し寄せた。人口2500名の小さな自治体の担当職員は一丸となって全国の大きな声を受け止めることになった。いくら地元の事情があるにせよ、人の手で生き物の命を絶つことは、どう考えても道理が通らないだろう。弁明の言葉はどこにも見あたらない。いまは、微かな光明を目指して耐えるしかない。
 3月14日、脇野沢村は大畑町、川内町とともにむつ市へ合併される。北限のサルの歴史に大きな交差点が記録された2005年だが、人間社会の歴史もまた大きな転換期を迎えている。
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