牛ノ首物語。・7
「グレーの成長」

 「グレー」の母親は「クロ」。牛ノ首の二ホンカモシカには「色」の名前を当てているが、彼女の家系は無彩色で統一。一定のルールをつくっておくと名前ですぐ家系がわかり、我ながらいいアイデアだと自負している。ただ、父親にあたるオスの名前は無視している。子育ては母親だけの役割なのである程度やむを得ないが、男としては少々辛い。
 グレーはクロのはじめてのこどもとして01年に誕生したメス。04年の春で3才になる。二ホンカモシカの世界ではもう一人前のおとな。じゅうぶん出産できるまでに成長した。母親は体色からクロという名前がついたが、こどものグレーも黒かった。アカンボウの時は大体が白っぽいが、グレーは例外だった。カモシカの遺伝子は母親の割合が強いのかも知れない。
 2才を過ぎた頃、杉林のカモシカ道を辿っていたら、向こうからグレーがひとりで歩いてきた。私が発見する前にグレーは私に気がついているはずなのだが、速度を落とさない。三脚にカメラをセットし、姿勢を低くして、耳に意識を集中した。
 しばらくすると足音が止まった。10m以内だろう。グレーは様子を伺っているのが気配で分かる。カモシカは静止している相手は苦手だ。相手が動いて、はじめて対応出来るのだ。この時は先にじっとした私の方が優位だった。辛抱仕切れなくなったのか、グレーが動きはじめた。足音が大きくなってくる。さすがに緊張して心臓が高鳴った。シャッターにかけた指先にも汗で滲んできた。
 ぬっとグレーは現れた。狙い通り画面一杯に入った。暗かったのでブレないように慎重にシャッターを押した。
 グレーはひとしきり私を観察すると満足したのか、道から外れて、私を迂回するように杉林に姿を消した。心地よい余韻が残り、しばらく森の中の静寂に身を任せていた。しかし、おまけがあった。その時の撮影はカメラのISO感度が大きくずれており、見事な失敗に終わった。無理やり増感して、かろうじて1枚だけ救済できた。
 雪が一段落した04年の2月、成長したグレーに出会った。積雪を踏みしめながらオオバクロモジの冬芽を食べていた。もう昔の面影はなくなり、ずいぶん逞しくなった。
 光りのバランスと、グレーの反応をみながら、慎重にカメラポジションに回り込む。このアプローチですべてが決まる。とても時間がかかる作業だが、この時が一番わくわくする。グレーがこちらに歩いてくる。目の中に警戒色はないので、そっとカメラを構えた。
 樹の陰からぬっと顔が出た。「カショ」、デジタルカメラの低いシャッター音は、簡単に森の中に吸い込まれた。グレーは3枚だけ撮らせてくれた。杉林へ向かいはじめたグレーの後ろ姿を見送りながら、ふと1年前のことが思い出された。探求心旺盛なグレーは変わっていなかったが、今回の写真は綺麗に記録されていた。

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