「サルの目・カモシカの目」
 申年の正月が明け、はや3ヶ月。吹雪の中で枝をかじる「北限のサル」に新年の挨拶をしたが、かれらの眼中には入らなかった。また、カモシカも雪をかぶりながら反すうすることに夢中で、これまた、無視された。

 今春、下北半島に生息するニホンザルを対象にした「青森県特定鳥獣保護管理計画」が動きはじめる。平成12年に青森県が、北限のサルの保護及び地元住民との共生に向けての対策として、「下北半島ニホンザル保護管理基本計画」を策定し、趣旨を踏まえつつ、科学的な調査に基づいた管理をする。簡単に言えば、人に被害をもたらすか、あるいはその恐れがあるサルは捕獲の対象になるというもの。

 1970年11月、下北半島に生息するニホンザルは「世界で最も北にすむサル及びその生息地」として国の天然記念物に指定された。当時は、個体数が少なく、絶滅が危惧された為、脇野沢村で個体数増加を目的とした「餌付け」がはじめられた。東京オリンピックが開催された1964年のことである。結果、15頭のサルたちが18年間の餌付けで180頭近くまで増加した。しかし同時に、サルの人慣れもすすみ、人とサルとの関係に歪みが生じはじめ、人とサルとの摩擦は餌付けが発生源とも言われるようになった。
 2001年、脇野沢村で、サルが人家侵入して仏壇間などの果物を持ち去る問題が発生し、特定したサルを一時捕獲、お仕置きした後に山に放した。「こらしめ」を学習させて、人里に近づかないことを期待するものだが、残念ながらそのサルは再犯を繰り返し、再度の捕獲に至って収容した。経緯を説明すると、一匹サルが、人の隙を見て人家に侵入し、それが恒常化したものだった。2年近くバナナやリンゴを人家から盗み続けた。山には存在しない「美味しい食べ物」を覚えてしまったことが、「サルらしい」生活に戻れなくなったと結論している。厄介なのは、このタイプのサルが「食文化」として、群れのサルに広めて伝承すること。サルたちは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」方式の生活を取り込むのである。
 脇野沢村の場合、18年間の餌付けが、人とサルとの関係を悪化させ、猿害を拡大させたと考えられているが、それには死角がある。1950年頃からのスギの拡大造林による植生変化が、サルたちの餌場を攪乱させ、生活変化のきっかけになり、さらに、近年の温暖化による暖冬小雪が個体数増加に拍車をかけた。近年、餌付けをしなかった下北半島の北部地域でも「猿害」が発生している。南部地域の脇野沢村の餌付けは、猿害発生を早めることにはなったが、根本的な問題は別のところに起因している。

 「青森県特定鳥獣保護管理計画」(下北半島のニホンザル)は、脇野沢村の事例を踏襲しつつ、被害防除と保護とが一体化して方向で示されている。被害防除は、一線を越えて条件を満たしたサルは捕獲の対象にし、保護は、サルたちの生活場所になる落葉広葉樹林の創出と担保である。これには時間がかかる。被害を受ける人々からは、「手ぬるい」、「群れ全部を捕獲すべき」という、即効的な効果のある要望が聞かれる。しかし反面、「被害防除に力点がおかれすぎでは」、「天然記念物としても文化財価値はどこにあるのか」「生活場所の保証はあるのか」といった疑問も噴出している。立場が違えば意見が異なって当然であるが、両者の隔たりがありすぎるのも気になる。

 「北限のサル」自身の立場や言い分はどこにあるのだろうか?。かれらは環境の変化に、森や周辺の変化に順応してきただけのことだと思う。現実的に被害を受けるのは私たちなのだが、この先、かれらもまた被害を受けることになるのだ。昔も書いた記憶があるが、人とサル、どちらも被害者になるのではないだろうか。そして、両者が加害者にならない為にも「共生の道」を模索し続けたいものだ。論議が足りないのは、人とサル、両者のルールづくりであろう。

いそやまたかゆき

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