二ホンカモシカ〜新・ハチノジ物語〜・5
愛宕山公園でふり向くジュウゾウ
「二ホンカモシカと人」

 2003年5月25日、我が家の玄関先を「ジュウゾウ」が通りかかったので、カメラを携えて、後をついていった。電気柵が張られた畑の縁を歩き、民家の隙間を通り抜け、道路の左右を一瞬だけ確認して、一気に愛宕山公園に駆け込んだ。そして、公園の桜の下の芝生を走り抜け、海岸側の雑木林に飛び込んだ。私は、そっと距離をつめて、ジュウゾウの背後から声をかけた。一瞬だけふり向いたが、憮然とした顔つきだった。
 1987年に引っ越して以来、愛宕山周辺で16年間にハチノジ、ヨノジ、ロクノジ、クノジ、ジュウイチ、そして現在のジュウゾウと、延べにして6頭のカモシカを観察してきた。とりわけハチノジとの付き合いは長く12年に及び、クノジ、ジュウイチたちと同様、最期も見取った。人里周辺に生活場所を持ったかれらは、森の中とは違った、もうひとつの二ホンカモシカ像を教えてくれた。
 ここで、二ホンカモシカの歴史を少しふり返ってみよう。かれらは1934年、国の天延記念物に指定されたが、密猟がなくならず絶滅が危惧され、1955年に特別天然記念物に格上げされた。規制が効いて、ようやく個体数の減少に歯止めがかかったが、1965年頃から植林地に食害が表面化しはじめ、1975年に岐阜県で学術調査の名目で5頭のカモシカが捕獲された。カモシカを被告席に座らせた有名なカモシカ裁判も、この頃の話である。

愛宕山へ向かう為、空き地を移動して歩くクノジ
 1978年、カモシカの保護及び被害対策について当時の環境庁、文化庁、林野庁が合意文書を取り交わし、種としての指定を解除し、保護地域を設定して地域指定にする方向が示された。骨子は保護地域外では個体数調整を認めるというものだが、全国15所の保護地域設定のすべての作業がまだ完了していない。下北半島の保護地域は、1981年の3月に設定が終了し、半島内に3万3千ヘクタールが指定されている。
 下北半島の場合、昔からスギ造林木への食害は発生していない。ただ、畑作物への食害は古くから発生しており、カモシカの防護柵を設置して食害防止に努めてきた。脇野沢村の場合、とくに豆類への食害が目立ち、1975年頃から山林と畑地を仕切るような金網柵が設置され、人とカモシカの共存の為の道筋が探られ続けてきた。ただ、現在ではサル食害が浮上した為、金網柵から電気柵に様変わりし、結果的にカモシカの畑への侵入はほとんどなくなっている。
桜の幼木にナワバリの為の匂いつけをするジュウイチ
 愛宕山公園のハチノジから、クノジ、ジュウイチ、そして現在のジュウゾウまのカモシカを観察して、確かにカモシカの個体数の回復を感触として感じる。しかし、住みやすい場所に何頭ものカモシカが集中して競合するといった激しい動きはみられない。これは森の中でもそうだが、1頭が死亡してはじめて新しいカモシカが入れ替わるという、自然淘汰というかれらのルールに従った静かな生活が続いている。村人もまた、自然体でかれらと付き合ってきた。
 愛宕山公園の16年は、人と野生動物と共存の為の重要なひとこまを握っているのではないかと考える。そして、その背景にある脇野沢村の持つ「時の流れ」は、人にも野生動物にも適した、生き物すべてに共通した時間のような気がしている。
 新しく登場した若いジュウゾウは、この先、何を教えてくれるのだろう。

終わり

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