〜新・ハチノジ物語〜・1
春先、剪定で切り落とされた桜の若芽を食べるハチノジ。後方は鯛島。
    撮影:1996年4月3日
「愛宕山公園とハチノジ」
 脇野沢村に引っ越して16年が経過した。下北半島の南端にあたる面積56平方キロの村は、南は陸奥湾、西は平舘海峡に面し、冬のタラ漁で有名な漁村だ。
 私の住まいの近くに、海に突き出している小さな山塊がある。標高41mで山とは言い難いが、海岸線に散策コースが設けられ、桜シーズンには花見会場になり、「愛宕山公園」として村民の憩いの場になっている。船で到着する来訪者はまず目に入り、海の玄関としての表札代わりにもなっている。
 引っ越しをした87年の秋、公園で1頭の二ホンカモシカと出会った。義父から時々姿を見せるとは聞いていたものの、突然の出会いに、ただ眺めているだけだった。
 この日を契機に、愛宕山のカモシカと長いつき合いが始まった。まず、顔の特徴を覚え込んで「ハチノジ」と名前をつけた。鼻筋の黒い文様が漢数字の「八の字」に似ていたからだ。あとでいろいろな資料をみると、全国各地に同じ名前を持つカモシカが多く、誰も似たような印象を持つものだと、ひとりで苦笑した。
 観察をはじめた3年目の春、ハチノジの背中にカラスが乗っていたことがある。組み合わせに目を疑ったが、もしかしてハチノジが死にかかっているのではと思った。森の中でカモシカの死体にカラスが群がっている光景に出くわしたことがある。ひとつの死はひとつの生でもあり、カラスはその中心的役割を持っている。しかし、ちょっと様子が違う。ハチノジは穏やかな顔をしている。我々で言うところの「くつろいでいる」のである。

道路を歩いて愛宕山に向かうヨノジ(右)とロクノジ。
    撮影:1996年11月11日
 まもなくカラスは舞い上がって姿を消した。が、すぐまたやって来て、再びハチノジの背中に乗った。そしてお尻のあたりを突っつきはじめた。ハチノジは微動だにしない。興味が湧いて双眼鏡で覗いて、ようやく意味が分かった。カラスはハチノジの体毛を巣の材料として集めていたのだ。折しもカラスの繁殖時期。一塊りの冬毛をくわえたカラスは忙しそうに飛び立った。人里に生活を依存したハチノジがカラスに貢献していたのだ。
 ハチノジは99年8月1日に死亡したが、12年間、愛宕山周辺で同じ生活を繰り返した。96年に一度だけ、「ヨノジ」と名付けたメスとつがい関係を持ったが、それ以外は単独の生活だった。誕生したこどもには「ロクノジ」と名前をつけたが、半年後、母と子は山に戻ったらしく、愛宕山から姿を消した。
 ハチノジの死後、愛宕山公園で観察したカモシカは3頭。「クノジ」、「ジュウイチ」、「ジュウゾウ」と、すべて老オス。義父が過去19年間で観察したのはハチノジを含めて老オスばかり4頭。つまり、35年間で7頭のカモシカが代替わりしながら愛宕山公園の周辺で生活したことになる。ちなみにヨノジ、ロクノジは94年と96年、そして、クノジ以降は99年、01年、03年の観察年を読み変えた名前である。
 ハチノジ亡きあと、愛宕山公園を後継したクノジをはじめ、その後のカモシカたちの生活史は、あらためて興味深いものになった。
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