サルの目カモシカの目
牛ノ首物語・7

「 フクジュソウ」

 牛ノ首地域は脇野沢村のなかで春の訪れが早い。フキノトウが頭をのぞかせ、雪解けを待てずに

福寿草の黄色い花が顔をみせると、一足早く春を感じ、心の中まで暖かくなる。

 「フクジュソウ」と名づけたサルがいる。肥満気味のポッチャリタイプ。性格はいたっておだやか。

喧嘩らしい事もほとんどせず、緊張が多い群れの中では貴重な存在。

 とくに忘れられないエピソードがある。春先のテレビ取材中でのこと、フクジュソウが変な動き

を始めた。ブナの根本に横たわり、何度も体をくねらせ、しきりに尻に手をあてがいはじめた。

お腹はこの上なく大きい。ニホンザルの出産はふつう夜間に行われ、私たちが直接目にする機会

はほとんどない。ましてや「北限のサル」の山の中での出産など、夢の夢にも考えていなかった。

 全員色めきだった。カメラマンは足場を固め、予備のテープを何本もポケットにねじ込む。

マイク係りは録音レベルを何度も点検。ディレクターは素早く「スクープテープ」を局に送る

段取確認に忙しい。学者は双眼鏡を何度も磨きながら記録に余念がない。役割のないプロデュー

サーまでそわそわ。持ち場は万全体制。異様な雰囲気は私まで感染した。

 1時間が経過した。フクジュソウは体と手を動かすものの、次の展開まで発展しない。

そのまま2時間がたった。変化なし。とうとうカメラマンは手を止め、思わず大きなあくびをした。

それを機にあちこちからため息が聞こえた。と、おもむろにフクジュソウが起きあがった。瞬時に

全員が身構え、再び緊張が張りつめた。私も期待に胸が膨らんだ。ところが、彼女は木を登りはじめ

、あっという間に頂上まで達してブナの新芽を食べはじめた。まるで何事もなかったように…。

そのあとはもう怒号の嵐。大のおとなたちが、木の上の1頭のサルに向かって大声でわめく姿…。

それはもう惨めで、どう見ても格好のいいものではなかった。大きな期待と2時間の緊張の反動は、

それほど凄いものだった。

 結局、その年、彼女はアカンボウを産まず、「慢性妊娠のフクジュソウ」と別名がついた。

10年たった今でも、あの時は何だったのか謎のまま。自然の懐は限りなく深い、ということ

にしている。ちなみに、フクジュソウのお腹は今でもスタイルの変化がなく、愛嬌はたっぷり。

 

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いそやまたかゆき

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