「非情の勇気ある決断」

初夏の強い日差しのなか、新緑と青空のコントラストが印象的なこの頃です。

おりしも運動会シーズンたけなわ、スタートの号砲とこどもたちの声援が入り

交じったBGMが季節を印象づけています。そんなおり、ニホンカモシカの話題が

2件飛び込んできました。

 

【事例1】

 昨年の春、生後間もないカモシカの赤ちゃんが保護され、人の手で育てられ、

大きくなった先頃、動物園に収容された話です。昨春、山菜取りの人が、単独

で弱っていたアカンボウを見つけ、保護の必要ありと判断して持ち帰り、行政

の許可を得て、以前育てた経験のある人に「自然に帰すためのしばらくの人工養育」

として依頼されたのです。ニホンカモシカは国の特別天然記念物に指定されている

保護動物なので、勝手に個人が手を加えることが出来ません。カモシカを育てた

その人は10年前にも同じ経験をしているのですが、その時も、自然の山に

戻すことが出来ず、今回と同じ結果になっています。今回も、人に馴れすぎて

自然復帰が出来ず、先日、搬送用の車に乗せられて行きました。そして、

この一連の出来事について、地元の放送局からコメントを求められ、10年前の

事柄を含めて、非情ともいえる言葉で締めくくっておきました。

 

【事例2】

 先月の27日、教育委員会から私の元へ、カモシカのアカンボウが保護された

という連絡がはいりました。現場に急行すると、生後2週間くらいのカモシカが

国道上に座り込んでいました。性別はオス。周りには、発見した村人や通りかった

人が心配そうに見守っていました。様子を聞くと、フキを採っている人が座り込

んでいるアカンボウを偶然見つけたもので、周りには、親らしいカモシカの姿も

見えなかったそうです。状況から、傍らの斜面(アカンボウにとっては崖に思え

ますが)から滑り落ち、自分で登ることが出来ず、その場に座り込んでしまった

のでしょう。母親は、崖の上でアカンボウが戻ってくるのを待ち続けた事だと

思いますが、あきらめて?立ち去ったのでしょう。しばらくすると、アカンボウは

私たちの足のあいだを歩き回り、だれかれ問わず、すり寄り、母親の代役を探し

ている様子。アカンボウは、怪我もなく健康体そのものでした。

私は即断しました。アカンボウを両手で抱え、滑り落ちた山林部に入り、

山に戻してきました。

 

 ニホンカモシカは、群れで生活せず、個々が一定の広さのナワバリをつくって

単独で生活する動物です。つまり、餌を採るのも外敵から身を守ることも、すべて

自分だけの力でやらなければなりません。生まれたアカンボウは母親だけが面倒を

見ますが、アカンボウは母親について歩き、親の行動を目のあたりにすることで

さまざまな生活様式を学びます。なかでも、危険を危険として認知し、安全確保行動に

つなげるための野生動物として最も重要な刷り込みも、その中に組み込まれまています。

オオカミが滅んでしまった現在、天敵はとくにいませんが、身に危険が迫るとまず

母親が逃げ、それを何度も繰り返すことでアカンボウは「危険」という認識を学びます。

これらの観察は、生後間もないアカンボウを連れた親子のカモシカに会われた方は

おわかりだと思いますが、この場合の「外敵」は、誰でもない、私たちです。実際、

私も写真を撮ろうと出来る限り近づく努力をしますが、母親は普段より敏感になり、

こどもの様子を見ながら、徐々に距離を離して行きます。はじめの頃は、こどもは

何が起きているのかわからず、母親と私の間で右往左往する場面が多く、どうして

いいのか分からないという様子がよくわかります。ところが、何度も同じような

ことを繰り返しているうちに、母親が動き出す前にこどもが自ら私から離れてゆく

(逃げる)ことが多くなってきます。これが、母親による危険回避の「擦り込み」

の成果だと考えています。この大切な学習は、私(たち)には教えられません。

 

 5月の末に起きた2件の事例は奇妙なほどの偶然でした。事例1でコメントした

直後、まるで私を試すような試験問題が突きつけられました。もし答えることが

出来るのなら、かれらに「どうしたいのか?」、「どっちを選択するのか?」と

聞きたいものです。「物言えぬ者たち」の心を汲むことは、相手がカモシカに限らず、

難問中の難問です。

 動物園に引っ越したカモシカと山の中に戻された小さな命…。この先、それぞれに

どんな運命が待ち受けているのか分かりませんが、あくまでも、自然のものは、

自然の手に委ねたいものです。

 

文責 いそやまたかゆき

2001.6

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