「ゴンズイ」のお仕置き

3月10日、「ゴンズイ」が捕獲された。7日に捕獲オリに入り、8日にお仕置きを施したのち奥山に

放獣されたが、9日には戻ってきてしまい、翌日、再び同じ捕獲用のオリに入ってしまいました。

 私と「ゴンズイ」との出会いは10年前にさかのぼります。1990年、あるテレビ局が、

ひとつの群を1年間追跡して正月用の番組をつくるという企画が持ち込まれ、私も参画

する事になりました。取材日数は約100日、私も、事前調査を含めて135日の山通いをし

、文字どおり四季を通じてサルを観察することになりました。

 「ゴンズイ」は、ちょうど撮影を始めた秋頃から「ハナレザル」として群の近くに姿

を確認し、翌91年の秋に、交尾期を利用して群に加入しました。ところが、95年あたり

から、地域の畑周辺に残っている「クズ野菜」や、時には村人からリンゴ等を貰う機会

も増え、「ゴンズイ」は積極的に最前列で参加する姿が目につきはじめました。また、

群の若いオスザルを引き連れて歩く姿も多くなりました。さらに98年頃には、群から離

れて単独で行動する回数が増え、99年秋には、群から離れて九艘泊地域に「ハナレザル

」として定着するようになりました。そして、自ら玄関を開けて人家に侵入し、仏壇に

お供えしてある果物を持ち去るという、大胆不敵な行動をくり返すようになってしまいました。

 ニホンザルには、群を構成して生活するサルの他に「ハナレザル」と呼ばれる単独生

活のオスザルがいます。オスは、4〜5才のオトナになる頃に生まれた群を出て、広く

歩き回り、別の地域の群れに接近し、メスとの交流を深めてその群に加入します。「ゴ

ンズイ」はこの流れにそった生き方をしただけなのですが、生活した場所が、優しい人

がいて、おいしい「餌」のある人家周辺だったということが、今回の不幸につながった

のです。下北半島のニホンザルは「世界で最も北にすむサル」として天然記念物に指定

され、貴重なサルとして保護される動物であり、今回の「ゴンズイ」の行動は、保護と

被害対策の対極的な問題を、同時に私たちにつきつけられることになりました。

 今回の「お仕置き放獣」の狙いは、サルに人間や場所の恐さを学習させ、サル自身が

人家周辺から離れてくれれば「共生」が可能になるのでは、という目的でした。サッカ

ーでいう「イエローカード」方式です。即刻の「捕獲」ではなく、チャンスを与えて、

僅かでも可能性がある限り最後まで「共生」を模索し続ける、そこには、脇野沢村が歩

み続けてきた1964年以降の「サルと人との共生」方策がにじみ出ています。

 結果は、報道もされたように、「ゴンズイ」は翌日に九艘泊地域に戻り、さらに翌日

には、再び人家侵入をして同じ捕獲オリに入ってしまいました。報道後、さまざまな意

見が寄せらました。「お仕置き」が手ぬるい…、人間の身勝手をサルに押しつけている

だけでは…、動物虐待ではないか…、元々は人間が自然の森を破壊したせいではないか

…、100%人間の責任だ…、下北半島に野生動物の楽園をつくって、のびのびと生活さ

せたら…、など、細かい意見を含めると枚挙にいとまがありません。

 今回の成果はさまざまなかたちで捉えられますが、私は、実施した価値はあったと考

えています。「ゴンズイ」の行動は、自然発生的に起きたのではなく、生活環境の変化

に順応してきただけだです。言い換えれば、私たちの付き合い方によってかれらとの「

共生」は可能だと考えています。その為には、サルたちが生活出来る「山」の創出は不

可欠で、人里に降りて来なくてもすむような「森づくり」が必要です。同時に、すでに

施行されています日光市の「餌やり禁止条例」等の、人間と野生動物が付き合う為の「

ルールづくり」などの確立。このハードとソフト2点を、すみやかに同時進行させる必要があります。

 残念ですが、状況は「ゴンズイ」を「山」に戻せる状態ではなく、このまま「人口飼

養」する事に決定されました。しかし、下北半島に生息する他の「北限のサル」や、全

国各地にすむ野生動物たちの為にも、「ゴンズイ」の果たせなかった「共生」方策を模

索し続ける必要があると考えています。また、第二の「ゴンズイ」をつくらない為にも…。

 

文責 いそやまたかゆき

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2001.4.1

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