「ツツジ咲く頃」
春が、里から山々に広がった。みずみずしい新緑は目にまぶしく、ところどころに
咲くコブシや山桜の花が彩りを添える。
いつものカモシカみちを歩いていた。道というほどのものではないが、よく踏み
固められ、結構歩きやすくなっている。しばらく行くと、1頭のカモシカとはち合
わせをした。いつも観察している馴染みのメスのカモシカで、両者が向かい合った
まま、かなりの時間が過ぎた。
彼女は道を譲りそうもなく、仕方がないので私が道から外れて少し移動した。
すると、待っていたように彼女は歩きはじめ、ゆうゆうと目の前を通過した。
私は、慎重に間合いをとりながら、後ろについた。黙々と歩き、急峻な斜面も
ペースを落とさずどんどん登るが、こちらはそうは行かない。汗が噴き出し、
息が切れる。背負ったカメラと三脚を捨てたくなる。だんだん距離が離れ、
おいてきぼりをくいそうになった。青息吐息の中、苦しまぎれの策を考え、行く
先を予測して尾根を迂回することにした。
小一時間も待っただろうか。汗が引いて呼吸ももどり、心地よい春を楽しめる
ようになったが、肝心の主役が来ない。そう思い通りに行くわけがない…か、と
自分を慰さめはじめたその時、足音が聞こえた。岩を登ってくる。胸が高鳴り、
緊張する。のそっと、彼女は現れた。こっちの存在を察知しているはずなのだが、
あっけなく、彼女は私の目の前に立った。しかし、顔は海を見ており、お尻を向
けたままだ。息を殺してじっと待つ。時間も風景も静止する。ヒューとひとすじ
の風が海峡を走り抜けた。瞬間、彼女は顔を風上に向け、ポーズをとった。思わ
ず切ったシャッター音が風にさらわれ、春にのみこまれた。この日は、写真を
撮ったというより撮らされてしまったが、妙な満足感が残った。
気がつくと、足元のツツジがいっそう鮮やかになり、彼女に負けまいと威張っていた。
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いそやまたかゆき
2000/5/1
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