ニホンカモシカ

ハチノジ物語・3

 ハチノジは、私たちがいう「やもめ暮らし」。本来、カモシカは単独生活だが、秋にナワバリを重ねている

「つがい関係」のオスとメスが交尾して、翌春に1頭のアカンボが誕生する。4年前、1頭のメスが現れて、

ハチノジが父親になったことがあるが、その後はまた、悠々自適?の生活だった。

 ハチノジの一日を追跡したことがある。朝、中学校脇のスギ林から出て道路を歩き、民家と畑の間をすり抜ける。

途中、畑の脇に捨ててあるくずダイコンをつまみ食いする。一瞬、私が周りをキョロキョロしてしまった。

くずとはいえ、食べている場所は誤解を招きやすい。わが家の軒下を半周して、玄関を横切り、桜とスグリ

の葉を採食。アジサイの枝先に、目の下にある眼下腺から出る分泌液をこすりつけてナワバリのサインをおとす。

横の茂みに頭を突っ込んで、立ったまま、しばらく休息。本人は身を隠しているようだが、尻が丸見えで、

格言通りである。ここまで、約2時間を要した。 

 ゆっくり下の畑におりて、今度は、散乱しているジャガイモをかじる。小さいために取り残して放棄され

たものだが、上あごに歯がないかれらには、手ごろな大きさになる。

民家の路地をぬけて、自動車道路手前で立ち止まって様子を確認。車の音を慎重に確かめて、急ぎ足で横断。

 愛宕山公園に入ると、一面にあるクローバーを食べ始める。安全がよく分かっているのか、とくにのんび

りしている。採食にたっぷり時間をかけて海岸側のヤブにはいった。



今度は姿が見えない。双眼鏡で覗くと、じっと海を眺めている。ようやく森の哲学者にもどった。まもなく、

座り込んで口を動かし始めた。胃から戻して食べ直しをするいわゆる反すうである。この時間帯が、カモシカ

観察で一番退屈な時で、この日は2時間つきあわされた。そして、うつらうつらと睡眠にはいる頃は、すでに

陽が傾き始めていた。

翌日の午後、神社下にある階段を降りて、道路を横切り、役場裏の杉林を移動して山側にもどった。

 ざっと、ハチノジのメインコースを紹介したが、山と人里に色分けすると、半分以上を私たちの生活場所で

過ごしていたことになる。人がいれば、気配を消して待機。繁みがあれところでは、身を隠して休息。歩く道

すがらで採食。行動の基本は、森の中のカモシカと同じである。もちろん、畑作物を食べていないわけではな

く、問題はあるが、私たちの生活の中にここまで溶け込んでいることは驚きだった。

 危険の裏に安全あり、ハチノジの生活の知恵なのかも…。

 

つづく

いそやまたかゆき

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