「サルのすむ村」1 脇野沢の三十五年

 

「餌付け」

 1960年、村の西端にある九艘泊という集落にサルの群れが現われた。

それまでも古老たちが裏山で何回か目撃していたが、身近に見るのは初めて。

村内は大騒ぎになった。リンゴやミカンなどのごちそうが振る舞われ、

サルたちは、その後も度々訪問するようになった。

 総勢わずか17頭、群れの絶滅が心配された。間もなく婦人会を中心に

「野猿保護委員会」が結成され、エサを与える「保護活動」が始まった。

 63年、隣接する貝崎にエサ場がつくられ、学者も加わって本格的な「餌付け」

が開始された。小中学校生も協力、村ぐるみで北限のサルを守る運動に発展し、

人とサルの密月時代が始まった。

 70年、世界最北限のサルは国の天然記念物に指定された。脇野沢村の名前は

テレビや新聞などで国内外に広く知られるようになり、

保護と観光が両立できる背景が整った。

 実は、私はこの年に一人の旅人として村を訪れ、貝崎の観察小屋で

サルたちに出会っている。エサ場のヒバの枝に座った北限のサルは、

背中から陽光を受けて長い体毛をキラキラ輝かせ、

その姿を惜しみなく見せてくれた。そのときの光景は脳裏に焼き付き、

いまでも忘れられない。

 その時に受けた印象を何と表現したらいいのだろうか。

それは、例えば、静ひつな森の中でみせるサルたちの、

生命力あふれる躍動感とでも言ったらいいのだろうか。

 しかし、そのころ、黄金期の裏側で、農作物を荒らす「猿害」が徐々に広がり始め、

サルのすむ村に影が落ち始めていた。

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いそやまたかゆき

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